自分自身のCounterfactual

Impact evaluationの文脈でよく出てくるCounterfactual。
あるプログラムの効果を測る場合には、そのプログラムの効果がなかった場合というCounterfactualとの比較をしなければいけないという話で、
そのCounterfactualとして適切なものを、実験や既にあるデータからどう取ってくるかが重要なイシューとなる。


開発経済学をやっていたり、途上国開発に関連する仕事をする人は、
ほとんどが、何かしらの形で、途上国の人々の生活水準向上に貢献したいと思っているはず。
特に、研究者だと、途上国の研究をしていて、
実際にそれでどれだけ途上国の人々の生活水準向上に貢献しているんだろう、
実務家として直接プロジェクトなどを行っている方が、より貢献できるのでは?
と思って、実務家になろうかなと考える場面もあるのではないかと思う。


しかし、たとえば、自分が、援助機関で途上国でプロジェクトを行って間近で人々の生活水準の向上に取り組むとして、
自分の存在によってどれだけ人々の生活水準に影響を与えられるだろうか。
その援助機関に入る希望者がある程度多く、たとえ自分がそれを行わないとしても別のだれかがそれに応募して取り組むなら、
自分自身の存在のCounterfactualは、それを行う別のだれかと比べて、どれだけ効果的にプロジェクトを運営できるかにある。
自分が直接途上国の人々と関わって仕事をしているとしても、
自分以外の人でも同じような仕事ができるのであれば、
人々の生活水準向上に対する自分自身の効果というものは、ゼロに近いと言えるだろう。
自分自身がどれだけ人々の生活水準向上に貢献しているかを考える時に、
自分自身の存在のCounterfactualをきちんと考えることは、
自分が何をすべきかを決めるうえで、とても大事なことなのではないかと思う。


研究にしろ、実務にしろ、「途上国の実態改善」に対して貢献するには、
とにかく自分自身がFront edgeのことをしないといけない。
自分がいなければやられなかったであろうこと、
何かしら、世の中に既にあるもの以上の付加価値を生む活動をしないといけない。


というようなことを、
友人とメールをやり取りしながら考えた。