発想の来た道

ANAに乗ると、よく見るのが、ANA特別番組の「発想の来た道」。


今回日本から帰る時に見たのは、
石川県羽昨(はくい)市の市役所職員、高野(たかの)誠鮮さん。


高野さんは寺の住職だが、
田舎の小さな寺で住職の仕事だけでは食べられないので、市役所の臨時職員に応募して職員になった人だ。


2005年に、
人口約500人、人口の54%が65歳以上の限界集落の神子原を、年間予算60万円でなんとかしろ、
という命令を受けた。
高野さんは条件付きで承諾した。
その条件とは、
「稟議しない」
ということ。
役所では「〜してよろしいですか」と事前に了解を取るのが鉄則だが、
「〜しました」と事後報告で済ますことを市長に承諾してもらった。
事前に了解を取るのでは、何か新しいことをやろうとしても反対にあって無難なことしかできなくなってしまうし、
常々、
行政は計画書だけ完璧に仕上げるが、実際は何も変わってない、計画書じゃなくて現実を変えないと意味がない、
と、役所の仕事に疑問を持っていたからだ。


特に大きな問題が、経済問題。
当時、農家の年収は87万円で、食べていけないレベルだった。
山間に広がる棚田で機械化もされておらず、山から流れる水だけ使って、手作りで育てていた。
当時は、米を農協に売っていた。確実に売れるが価格は決められている。
高野さんは、
この米なら高く売れる、集落独自の販売ルートを作れば収入は上がる、
と思い、農家を集めて、
「役所の補助金や農協に頼らず自分たちで米を販売しよう」
と訴えかけた。
しかし、皆反対。
「うまくいかなかったら誰が責任とるんだ」
「みんなこれまで経験してきてそんな簡単に米が売れるもんじゃない、
おまえはコメのことを何も知らないからそんなことが言えるんだ。
お前がやってみせろ、米売ってみせろ。売れたら信じてやる」
と言われた。
それで米を売る方法をいろいろ考えた。


米を高い値段で売るにはブランドが必要だ。
じゃあ、誰に食べてもらえばブランドになるのかと考えた。
芸能人、スポーツ選手、政治家。
いろいろ考えたが、ローマ法王に決めた(自分は仏教の住職だが)。
神子原という集落の名前に、「神」の文字が入っているから。


それで、法王に手紙を書いた。
「石川県羽昨の神子原に山の水だけで作った米があります。
この地域の名前は神の子の原っぱ、つまりキリストの高原という地名なんです。
この地域のコメをあなたご自身が食べる可能性は1%もありませんか」


だめもとだったが、数ヵ月後、東京のバチカン大使館から電話が来た。
神子原は500数名の小さな集落だが、バチカンは800人しかいない。
500数名の村から世界一小さな国への架け橋をやりましょう、と承諾してもらった。


ローマ法王に神子原米が献上されるニュースが世界中に報道され、
1俵13000円だったのが42000円になり、1か月しないうちに700俵のコメが全部売れた。
農家との約束通り神子原米の販売に成功した。


それで、集落の人を集めて、「農協に頼らない農家による販売会社の設立」を訴えた。
しかし皆反対。自分たちで資金を出資してやったこともない事業を始めるのに抵抗があった。
役所も農協も出資しない販売会社の設立。
毎日喧嘩のような会議で、机をバンと叩いて火のついたタバコを投げられた。
当然、市役所内でも問題視されるようになった。


そんな時、直属の上司から、
「犯罪以外は全部責任を持つから実行してくれ」
と言われ、
農家の気持ちを変えるため、もうひと押しやってみようと思って、
神子原米を使った海外で売れる日本酒造りを考えた。


どうしたら日本人受けするかを考えた時、
海外で素晴らしい酒と書かれれば日本人は無視しない、
と思った。
それで、外国人がどんな酒をうまいと思うのか徹底的にリサーチした。
外国人の書いた記事を見てみると、『まるでワインのような〜』と表現する。
外国人はワインを基軸に判断するから、ワインに近づけば近づくほど高級な日本酒になる、
それじゃあ、日本酒を発酵させるのにワインの酵母を使えばいい、
と思って日本酒を造った。
外国人記者クラブに持ち込んで試飲会を開くと、
「ワインのような日本酒だ」と称賛され、
ブランド米として不動の地位を確立。
東京のアラン・デュカスのフランス料理店でも出される高級酒となり、
33600円でも売り切れる人気の酒になった。


一連の実行力を見て、農家の人たちも2007年に株式会社を設立。
米だけじゃなく野菜も売る直売所をオープンし、初年度から黒字を計上。
農家の収入も増えて明るい未来が開けてきた。
移住家族も増えてきて54%だった高齢化率も47%になった。
現在は自然栽培に取り組んでおり、そのパートナーは、長年反目してきた農協。
なぜ対立していた人と組んだのかと農協の組合長に聞くと、
「あんな発送する行政の職員はいない」「金もいらない、名誉もいらない」という回答が戻ってきた。


高野さんは、地域のことだけ考えた。
だから、人々の心を変え、農協を変え、限界集落を変えた。
「農業続けてよかった」と言われるのが一番うれしいそうだ。


そんな高野さんの発想の秘訣は、
可能性をリサーチすること。
若い職員はすぐ「できません」と言うが、一体どこまで調べたのか。
ネットや電話を使って徹底的に調べ上げる。
そうすれば、色々と方法が見えてくる。
1%でも可能性があればやってみる。
人がだめだと言ったら、もっと可能性のあるものを考え出す。



知識があるというのは良いことであり、力でもあるけれど、
知っていると思うことは、可能性をつぶしていることだと思った。
知識があるゆえに、何ならできる、何なら難しい、ということの判断をつい先にしてしまうが、
難しい、でも何かできる方法がないだろうか、と考える執念が大事なのだと思う。
難しいと考えるその先にしか、本当のフロンティアはないのだから。