バングラデシュ出張

4月1日にボストンから日本へ帰国。
それから、E-educationのプロジェクトで、バングラデシュに行ってた。
そしてまた来週から、ベースライン調査のセットアップのために、バングラデシュへ再渡航


前回のバングラ出張は、かなりばたばたして、
ビザを取るのを忘れていたのを、出発前日の深夜(出発日の早朝)に気づいて、
非常にあせった。


家にはネットもまだつながっていなかったし、
iPhoneが唯一のネットへの接続手段で、
Twitterで情報収集したら、
無理、だめ、という情報、
空港での到着ビザで大丈夫との情報、
以前は到着ビザで大丈夫だったけど今はだめという情報、
いろいろ錯綜して心配だったけど、
同僚が教えてくれた移民局のこのHPの情報を信じて
http://www.immi.gov.bd/land_permit.php
成田に行った。
ビザがないとそもそも飛行機に乗せてもらえないかもと恐れてたけれど、
キャセイのチェックインの人はビザの有無もチェックせず搭乗券くれて、
逆に怖かった。


で、バングラに着いたら、
なんてことはなく、到着ビザが何の問題も無く取れた。
本来は50ドルらしいけど、
お金を財布から出すと「日本人はお金要らない」と言われて無料でビザ発行してくれた。
その後でやっぱり小さな部屋に手招きされて”Give me some help”と言われたので10ドル渡して任務完了。
10ドルだったら、目黒に行ってビザ申請して、また次の日目黒にパスポート受け取りに行くより、
はるかにお得。
到着ビザは一回限りだから、
6ヶ月以内に数回バングラに行くようなことがない限りは、
到着ビザが便利だと思う。


バングラの空港の職員も、
インドに比べてはるかにPoliteでFriendlyだし、
汚職があるにしてもFriendlyな汚職で、悪い感じはしなかった。
国家の財政としては多少の損失ではあるけれど。


バングラでは、ダッカに二日滞在した後、
フェリーとオートリキシャを乗り継いで、E-educationの現地責任者のマヒンの村へ行った。


フェリーでChandpur港に着いたときはもう薄暗くなっていて、
オートリキシャでだんだん暗くなっていく道を進んでいく。
まだ未電化の村も多く、
一人当たりGDPが同程度だった5年前のベトナムより、電気や道路を含めたインフラはかなり劣っている。
どこにも電気がないから真っ暗で、夜になるともう人はほとんどの活動ができなくなる。
そんな暗闇の中、時々電気がついている家があって、
人々が集まっていたり、料理やら何やらをしているのを見て、
改めて電気の大切さを感じた。
自分は学者なので、ビジネスやどういう商品がヒットするかの感性がないし、
ソーラーランタンも、今まではあまり関心がなかったけど、
今回、身にしみてソーラーランタンはすごい発明なんだと認識した。
それと、購入したNOKIAの携帯も、一番安い1700円程度のものだったけど、
懐中電灯の機能もついていて、
貧困国向けによくデザインされてると感じた。


マヒンの家には、電気が来ているけれど、
国全体で電力供給が不足しているので、
全体の電力消費量が少なそうな朝の数時間しか電気がこない。
マヒンの家には日本人がたくさん来るので、
今回新しくジェネレータを導入し、滞在中に家の中にトイレもできた。
ジェネレータ発電は高いので本当に必要なときしか使わないし、
トイレも滞在中に完成したので、最初の数日はマヒンの家の前にある井戸で水浴び(もちろん外なのでパンツははいたまま)をするしかなかったので、
電気のありがたさ、家の中で体を洗えることのありがたさを身にしみて感じた。
ちなみに、教師で農園経営や魚の養殖もしているマヒンのおじさんの家は、
まだ未電化の村にあるので、
ソーラーパネルで太陽発電していた。


マヒンは去年ダッカ大学を卒業してダッカ大学の大学院に進んだが、
E-educationのプロジェクトに集中するために、
大学院をやめた。
というか、生徒がダッカ大学に合格できるようにE-educationをちゃんと運営しようとすると、
とてもじゃないが学業とは両立できない。
E-educationは、日本の大学生が現地に飛び込んでプロジェクトを始めてダッカ大学への合格者も出したというので、
最近いろんな記事にのって知名度も高くなってきたけれど、
バングラデシュでは、まったくの無名。
実績も何もないに等しい。
だから、大学の先生も、親や親戚も、大学院を辞めてE-educationに集中することを理解してくれなかった。
そうして周りが理解してくれない中で、
去年、生徒に数千タカ課金することにして、最終的に生徒が10人しか集まらなかったときには、
本当に心が折れたらしい。
一生懸命勉強して合格したダッカ大学を結局は辞め、
周りの人からは反対され、
他を犠牲にしてまで取り組んだE-educationもうまくいかないとなると、
信じるべきもの、自分自身を支えるべきものが見えなくなって、
自分の進むべき未来が見えなくなる。
そんな時、アツがかけてくれた、この言葉に救われたらしい。
「人生には、二つの経験しかない。成功の経験と、失敗の経験。
僕らはもう失敗の経験をしたんだから、あとは成功の経験をすればいいだけだ」

理屈っぽい自分には、
「でも問題は、どうやったら成功の経験ができるようになるか、わからないことなんだ」
と思いそうになるけれど、
そのときのマヒンには、
この言葉が最高の栄養ドリンクだったみたいだ。


この話は、Steve Jobsスタンフォードでのスピーチを思い出させた。
http://news.stanford.edu/news/2005/june15/jobs-061505.html
Jobsは、20歳で金銭的理由(そして大学がどのように自分の将来に役に立つかがわからなかったため)で大学を辞めた。
その時は何も当てもなく、
ただ、きっと大丈夫、と信じて進んでいくしかなかった。
大学を辞めた後、必修科目をとる必要がなくなったので、自分の好きな授業だけとって、
その中に、Caliographyの授業があって、それが今のコンピュータの様々なフォントのもとになった。
後から見れば、あの時のあの選択がなければ今の成功はない、と思うものが色々出てくる。
ただ、実際に選択する時点では、将来どうなるのか、それが本当にうまくいくのか、知ることはできない。
でも、将来どうなるかわからないからと立ち止まっていたのでは、何もすることができない。
だから、自分のガッツなり、運命なり、カルマなり、何かを信じて大きな決断をしなければならない、自分の信じた道を突き進まなければならない、
というような話をマヒンとしたのだが、
このSteve Jobsのスピーチは、今も通勤途中とかによく聞いている。


その数日後、暴風雨が来て、どこかの電線がやられたらしく、
それから数日の間、電気が通じない見込みになった。
夜、ジェネレーターで電気を起こしていたら、近所の人が10人以上やってきて、携帯の充電をしてた。
携帯は村の人々にとってもかなりの必須品になってきている。
もう寝る時間になったところでさらにもう一人やってきたが、さすがにお断り。


そうこうしているうちに、
某大臣が車のトランクに大金を隠していたのが見つかり辞職する騒動になったり、
最大野党BNPの幹部が行方不明になって、それを与党の仕業と見たBNPゼネストを始めたりと、
政治が混乱してきた。
車両に対する投石や放火、手製爆弾など、治安もやや悪化してきた。
汚職などのほかにも、人々は、親印とされる政府のインドへの弱腰対応にも憤っているらしいく、
乾季にインドが上流で川をせき止めてバングラに水がこなくて農作物が被害をこうむったり(30%の水を流すという合意があるがまったく守られてない)、
毎日インド国境で何人もバングラ人が(国境近くを通っただけで)殺されたりしてるのに、
そういったことがずっと放置されて未解決のままだそうだ。


帰国日の直前3日間にわたりストがあって、
スト初日はフェリーも止まってしまって、ダッカに戻れないんじゃないかと心配したが、
二日目はフェリーが何とか出たのでそれに乗ってダッカに戻り、
無事帰国することができた。


ただ、家計調査データ買おうと思ってとりあえず8万円分両替して別に持っていたが、
結局ストで統計局に行けなかったので、次回の出張で使うために8万円分76000タカをバックパックに入れてたら、
空港のセキュリティで引っかかって米ドルに無理やり両替された。
8万円だから問題ないかと思ってたけど、結構厳しい。
空港職員の人が「100ドル以上あるじゃないか」と言っていたので、
100ドルくらいが目安らしい。


今回が初めてのバングラだったが、
ストとか停電とか色々あったものの、
バングラ人はインド人に比べてはるかにFriendlyでPoliteだし、
こっちの話もちゃんと聞いてくれるし、
とてもすごしやすかった。
主にマヒンとつながりのある人とあっていたのも大きいかもしれない。
インドに行っても、現地語を学ぼうという気にはなれないんだけど、
ベンガル語はちょっと勉強してみようかなという気になった。