ノーベル物理学賞

日本人3人がノーベル物理学賞を受賞したというニュースでもちきり。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20081007-00000574-san-soci

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20081007-00000576-san-soci

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20081007-00000590-san-soci

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20081007-00000591-san-soci

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20081007-00000593-san-soci

記事を読んでいると、
自分と同じくらいの年齢のときにすでに大発見をしていたことを知り、
かなり刺激を受けた。


特に印象に残ったのがこの部分


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 益川さんが助手として京大理学部へ移ると、小林さんも2年後に続いた。旧知の2人は、すぐに「何か面白いことをやろう」と話し合った。選んだのは、宇宙や物質の根源にかかわる「CP対称性の破れ」という謎の現象。多くの学者が挑みながら、解明できていない難題だった。

 研究が始まったのは昭和47年5月。当時、益川さんは教職員組合の書記長も務め、多忙だった。2人は益川さんの時間が空く午前中に議論し、結果を家に持ち帰って熟考。翌朝、また議論する生活を続けた。

 研究は主に益川さんが理論面、小林さんが実験面を担当。益川さんによると、「私がモデルを作り、朝、小林君に話すと、彼がそのアイデアを実験でつぶしていく」という毎日だった。

 当時、発見されていた素粒子クォークは3種類。当初は1つ多い4種類を想定した理論(4元モデル)を組み立てたが、それでは対称性の破れを説明できず、すぐに行き詰まった。

 研究を始めて1カ月ほどたった6月のことだった。家で風呂に入っていた益川さんは、クォークを6種類と考える「6元モデル」を思いつく。

 「風呂から上がった瞬間に、ふっと頭に浮かんだ。割と単純な発想だった。4元モデルの呪縛(じゅばく)が解け、『6元でいける』とポジティブに考えられるようになっていた」

 小林・益川理論が誕生した瞬間だった。

 翌朝、小林さんに話すと「実験的にもうまくいきそうだ」。夏休み中のわずか2カ月間で理論を仕上げ、小林さんが英文で論文を書き、学術誌に投稿したのは9月。翌48年、掲載された。

 「小林君は頭脳明晰(めいせき)で繊細、私は細かな作業が苦手。まったく違う性格の2人がコンビを組んだ」。大胆な着想で突破口を提示する益川さんと、緻密(ちみつ)な検証でそれを磨き上げる小林さん。抜群の相性の良さが歴史的な快挙を生んだ。

 無名の若手が書き上げた論文は当初、あまり注目されなかった。「クォークが本当に6種類もあると思うのか」と先輩研究者からいじめられたこともあったという。

 30年余の歳月を経て、ようやく正しさが認められ、最高の栄誉を受けた小林さんと益川さん。だが、その業績について聞かれると、決まってこう答えてきた。「理論屋とすれば、理論が外れる方が面白い」。あくなき探究心は、いささかも衰えることはない。
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特に特に、この部分。
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2人は益川さんの時間が空く午前中に議論し、結果を家に持ち帰って熟考。翌朝、また議論する生活を続けた。

 研究は主に益川さんが理論面、小林さんが実験面を担当。益川さんによると、「私がモデルを作り、朝、小林君に話すと、彼がそのアイデアを実験でつぶしていく」という毎日だった。
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とにかく、モデルを作り、そのアイディアをつぶしていく作業。
とにかく、実際に手を動かしてみることが大事だと、あらためて思わされた。


毎日毎日モデルを書き換えられるだけの力量もすごいし、
何度もアイディアがつぶされていくのに、それでも挑戦し続ける情熱もすごい。


やはり、独創的な研究を生み出すには、
・パワー(エネルギー)と情熱
・実際に手を動かす
・あきらめない
・つぶされても次のアイディアが出せる頭脳
が必要だと痛感。


自分も、もっと実際に手を動かさないと!!!

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