ノーベル化学学賞

ノーベル物理学賞に続き、ノーベル化学賞でも日本人が受賞!

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20081008-00000129-mai-soci

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20081008-00000612-san-soci

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20081008-00000145-mai-soci

特に印象に残ったのが、次の三つ。

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 「研究は、やり始めたらやり遂げることが大事。難しいからといって、最初からあきらめてはいけない」。
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はい、そのとおりです。肝に銘じます。
が、この言葉は、たぶん、次の言葉と対になっていると思う。

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 最近の科学研究をめぐる状況に不安を感じる時もあるという。「今の研究者は、結果の出やすい目先の成果を追うことが多い」と嘆く。「元気のない若い研究者が多く、もっと根本原理に迫る研究者が出てきてほしい」と期待を示した。
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「根本原理に迫る研究」、本当に重要だと信じるテーマの研究、を行うからこそ、
難しさを理由にしてあきらめてはいけないのだと思う。
「結果の出やすい研究」と思ってはじめたけど、思ったより難しくて、成功しても大して見込みのない研究の場合には、時にはあきらめて、もっと大きな研究に取り掛かることも大事かもしれない。


研究をはじめるときは、
結構、ある程度の結果が見込めることを計算してから本格的に取り掛かりがちなのだが、
ものすごく難しいが、根本原理に迫る研究、というのも、
やはり研究をしている以上は、取り組んでみたい。
というか、やはりそれが、自分が研究者を志した動機を満たす、最上の道なのかもしれない。

とはいいつつも、
自分は、貧困問題を研究としているのだが、
根本原理に迫る研究に、どうやってとっかかっていったらいいのか、
どの切り口から迫ればいいのかも、
まだよくつかめないのだが。。。

能力があるが借入れ制約などで投資ができずに貧しい人に対しては、マイクロクレジットなどの貸し出しスキーム、
そもそも能力がなくて貧しい人に対しては、(効果があるかどうか分からないが)教育訓練、補助金のターゲッティング、social securityシステムで最低限の生活を保障、子供が十分な教育を受けられるような奨学金制度や学費補助制度、
というのが、すぐ思いつく方法だが、
以前はマイクロクレジットのような貧困層向け貸出が考慮の外だったのと同様に、
現在は考慮の外だが何かしら根本的なスキームがあるのかもしれない。
あるいは、技術進歩で新しい可能性が開けるのかもしれない。
だが、今、貧困問題の根本原理に迫る研究をしようと思っても、なかなか取っ掛かりがつかめない。
とりあえず、今やっているマイクロファイナンスの研究や他の研究を深めていったり、
いろいろ論文を読んだり現実の貧困層に触れたりしながら
そこから何か根本原理に迫るとっかかりをつかんでいくしかない。


最後に。

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 ホタルに代表される生物の発光現象は当時、ルシフェリンという発光物質と酵素の反応で起きると考えられていた。このため無数のクラゲを網で捕獲し、体内のルシフェリンを抽出しようと実験を繰り返したが、失敗の連続だった。

 「何でもいいから光る物質を抽出しよう」。反対する指導教授を押し切って、勝手に実験を始めた。

 発光物質を取り出すためには、光らない状態にしておく必要がある。光った後では、その物質は分解されてしまうからだ。「なぜ光るのか。どうすれば抑えられるのか」。ボートをこいで海に出た。寝そべって考えていると、突然ひらめいた。「pHが影響するのではないか」。

 実験したところ、抽出溶液を酸性(pH4)にすると光らなくなることが判明。ようやく打開策を見つけて溶液を流しに捨てた瞬間、「流しの中がバーッと爆発的に青く光った」。海水中のカルシウムイオンと反応して強く光ったのだ。

 この物質はオワンクラゲの学名にちなんで「イクオリン」と命名。その後も毎年夏、家族総出で5万匹以上のクラゲを捕り続け、17年かけてその発光メカニズムを解明した。そのおかげで、付近の沿岸からはクラゲが一匹もいなくなったといわれる。
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反対する教授を押し切って実験を進める意志の強さや、
流しの中が爆発的に青く光って、その理由を追求して、それが海水中のカルシウムイオンと反応したことを突き止められた分析力や、
付近の海岸からクラゲがいなくなるほど取り続けた継続力と執念は、
自分も見習わなくてはと思う。
思うだけで終わりにせずに、実際にそうなれるように。。。


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「基礎知識の進歩がなくては応用面の画期的発展は望めない。発光機構解明のような基礎面の研究者がもっと現れるのを切望してやまない」