経験をいくら集めても理論は生まれない

大分で開催された国際開発学会に参加。


印象に残ったのは、共通演題の、佐藤仁先生の
「開発研究における個別性と普遍性」
と題する報告のなかの、
「『経験をいくら集めても理論は生まれない』とアインシュタインは言っている。個別の経験や事実を別の視点から総括するアブダクションが必要だ。」
という話。


アブダクションとは、観察データを説明するための仮説を形成する推論で、
a1はPである、a2はPである→(たぶん)すべてのaはPである,
と、観察データから一般化を行うのが帰納であるのに対し、
aという観察データがあって、Hと仮定するとaがうまく説明されるので、
たぶんHであろう、
というのがアブダクション


佐藤仁先生が例に出していたのが、
日本沈没』の田所博士が、
地震などに関するデータを集めて、こういう仮説を仮定するとこれらの現象がすべてうまく説明される、
そして、その仮説に基づけば、最終的な結論は、日本沈没だ、
と論じたもので、
データから仮説を導き出せれば、
その仮説の帰結として将来のことも予測できる。
フィールド実験を使えば、
その仮説の帰結を試してみることも可能だ。


『経験をいくら集めても理論は生まれない』というのは、本当に名言。
フィールドに行って、いろんな情報を集めてきても、
それを、いろんな理論や既存研究のアイディアをもとに背後にあるメカニズムを考えてみて、
いくつか候補を見つけだして、さらに追求して考えてみて、
それでうまく説明できそうな場合にはその理論に基づく実証研究を、
うまく説明できそうな理論が見つからないときには、どの部分がネックになって理論と整合的にならないのか、何を理論に加えればうまく整合的になるのかを考えて、新たな仮説に基づく実証研究なり、理論論文なりを書いていく、
という、考えて考えて考え抜いて、ひらめきを待つ作業が、研究では本当に大事だと思うし、
それこそが研究の醍醐味だと思う。
自分がそのレベルまで到達しているわけでは当然ないけれど、
こういうことは、強く意識していないとできないことなので、
データの裏にあるメカニズムを明らかにしようと、いつも心がけていようと思う。