動物園の動物の気持ち

今日は朝から調査地に行って、
実際にインタビューをしているところを見学。


村の結婚式場を借りて、
そこに事前にランダムに招待状を送った人たちに来てもらって質問票調査をする形式を取っている。
お金を払う実験も入っているので、
ロジスティクスのために一箇所でやったほうがいいことと、
お金をもらえるというのでみんな来てくれるので、
この形式で結構うまく行っている。
時々、招待されてもいないのに、俺も調査してくれ(お金がほしい)、という人もいるが、そういう人はお断りしている。
今日もそういう酔っ払いが二人ほどいたが、
最終的にちょっとお金をあげて帰ってもらった。


その後で、新しく招待状を配る村に、招待状を配る役割の人と一緒に行く。
その人が村のリーダーと交渉をしている間、
共同研究者と車の中で待っていたのだが、
村人がものめずらしげに寄って来て、
じろじろと見たり、
車のドアを勝手にあけて入ってきたり、
携帯電話のカメラで写真を撮ったりして、
こっちを向いてくれとか、もっとこっちに寄ってくれ、とか要求までされた。
村に行って村人に好奇心で(記念写真とかじゃなく)写真を撮られるっていうのは初めて経験した。
ちょっと前までは村人でカメラなんかもっている人はいなかったのに、
今じゃ結構カメラつき携帯を持っている人がいる。
テクノロジーの進歩がこんなちっぽけな村まで届いているんだなあ、とちょっとしみじみ。


だけど、指を指されながら見られたり、カメラで写真を撮られたり、車の中に乗り込まれて通じない言葉を投げかけられたり、
というのは、まるで、
車という檻の中にいる動物園の動物のようで、
ああ、人間から好奇心の対象として見られたりカメラを撮られたりしている動物園の動物の気持ちは、こんな感じなんだろうなあ、
と思ったりした。


そして、自分も以前、途上国の村に調査に行ったりした時に、
何気なくカメラで村人を撮ったりしていたけれど、
それで不愉快な気持ちになった村人も結構いたのかもしれない、
と、ちょっと反省。