PlayPumpの失敗

途上国農村でよくみられる井戸くみ。
ベトナムだともうほとんど見ないけど、
インドに行くと国土が広いこともあってまだまだ結構見る。
アフリカの農村はほとんど行ったことがないけれど、
いろんな研究や映像などを見る限りでは、井戸というのは重要な水の供給源だ。


しかし、井戸くみは結構重労働だというので、
PlayPumpという、
子供がくるくる回して遊ぶと井戸の水がタンクにたまる装置が考案された。
PlayPumpが期待を集めてスタートしてから、失敗に終わるまでの興味深い記事が、
以下のページに動画とともに載っている。

http://www.pbs.org/frontlineworld/stories/southernafrica904/video_index.html


2005年にテレビで放映されるとたちまち注目を集め、
アメリカ政府から1000万ドル、Case Foundationから500万ドルの資金提供を受けて、
PlayPumpを作る工場は拡張され、
サブサハラ各地にPlayPumpが設置されていった。
映像では、
子供たちがPlayPumpをくるくる回して遊び、
女性が水をポリ容器に入れる場面が紹介され、
子供は遊ぶおもちゃができたし、女性たちは井戸くみの重労働から解放されたし、
電気などのエネルギーもいらず、ただ子供の遊ぶエネルギーを使うので、非常にSustainableだ、
という、非常に希望にあふれたスタートを切った様子が見て取れる。


しかし、3年後にPlayPumpが設置された村を訪問すると、
そこには、希望にあふれた3年前の姿はなかった。
子供は飽きてもうPlayPumpで遊ばず、
PlayPumpを回すという「遊び」は、水を出すための「労働」へと変わってしまっている。
PlayPumpを回しても水が出てこないという故障が何カ月も放置されたままの地域もあり、
修理担当者の番号にテキストメッセージを送っても、何の返事もない。
PlayPumpはなぜか子供が少ない地域にも設置されており、
子供が遊ばないので、井戸くみにきた女性がPlayPumpを回して水を出す必要があるが、
PlayPumpを一人で回すのは従来の井戸のポンプで汲むよりもはるかに重労働で、
年配女性にいたっては自力で回せないので一人で水汲みができない、という状況をもたらしてしまっている。
PlayPump導入について事前に知らさせることはなく、PlayPumpはある日突然やってきて設置されたので、
PlayPumpについて村人たちが意見を述べる機会も提供されていなかった。


PlayPumpについての不満は、
設置後かなりすぐ設置を実行したSave the Childrenに届いたらしいが、
PlayPumpの普及を進めるPlayPump Internationalは、
2010年までに4000機の設置という目標を達成すべく寄付活動を続け、
一方で、修理に必要なお金の支出要請は拒んできたようだ。


そして、PlayPumpのプロジェクトは、
去年の秋、ひっそりと終了したらしい。
この記事が書かれる段階になって、PlayPump Internationalは、
モザンビークの作動していないPlayPumpの問題に取り組み、
結局のところ、従来の井戸が設置されることになったそうだ。


PlayPumpがうまく機能しなかったこと自体は、責められるべきことではないと思う。
始める時点ではどういう問題が起きるかをすべて予測することはできず、
これが世界の問題を解決するかもしれないと信じて始めること自体が、
世界にインパクトを与える重要な一歩なのだから。
ただ、実際の人々の生活に影響を与えるわけだから、
予想と違ったり問題に気付いたら、それにすぐ対処する柔軟性、迅速性が重要で、
それがこのプロジェクトには欠けていたということなのだろう。
テレビで放映されて様々な方面から注目を集め、称賛を浴び、資金提供も受けたこともあって、
2010年までに4000機、という目標にも反映されるように、
実際の人々の生活向上より、PlayPumpの普及そのものが重要視されるようになって、
このプロジェクトはあまりよくありませんでした、
と言えなくなってしまっていたように思われる。


大きな期待を集めてスタートした事業が、実は思ったような成果が出られずひっそり終わっていた、
ということは、他のプロジェクトでもいろいろあると思う。
何が問題で思ったような成果が得られなかったのか、
思い描いていたような成果を得るためにはどう改善すればいいのか、
あるいはその方向性ではそもそも成果が得られないのか、
しっかりと失敗から学ぶことをルーティン化し、その経験を共有しなければ、
これからもひっそりと終わっていくプロジェクトの数が減ることは期待できないだろう。